琴似屯田兵村「第133兵屋」
建築年 明治7年
所在地 札幌市西区琴似2条5丁目1-12
北海道防衛と開拓の功労者が暮らした家
北海道の開拓に主要な役割を果たした入植者に屯田兵がある。特に初めて屯田兵が入植したこの琴似屯田兵村には、北辺の防衛と開拓の任務を兼ねて、主に東北の諸藩、特に佐幕藩の士族が送り込まれ合計198戸、その家族を合わせて男女 965人が琴似兵村に入植しました。明治8年(1875)から同32年まで、この琴似屯田兵村を第一村として道内各地に37の屯田兵村が造られ約4万人が入植したといわれています。
平面図 |
琴似屯田兵村は、正式名称を「屯田兵第1大隊第1中隊」といい、明治7年11月に建てられたもので、屯田兵屋としては、最も古い建物である。村は全部で208戸の兵屋で構成され、兵屋の設計は主に開拓使工業局営繕係の岩瀬隆弘と、安達喜幸に加えて開拓顧問を務めていたホーレス・ケプロンであったことから、切妻の屋根組みにはトラス構造が採用されている。当初は2棟長屋形式も検討されたようだが、ケプロンの指導で独立一戸建てが採用されたという。
1982年に国の史跡に指定されたこの住居は、宮城県亘理郡小堤村出身の清野専次郎が居住した「第133号兵屋」で、1970年まで同位置に残されていましたが、1972年に改築、建設当初のまま復元されて現在に至っています。
各戸は150坪の宅地に、間口5間、奥行3.5間で8帖と4.5帖の畳の間に、囲炉裏を据えた10帖の板の間、9帖の土間と大小便所からなり台所は板の間におかれています。
第140番兵屋※)は屯田兵村敷地に位置する琴似神社へ寄贈され、
昭和39(1964)年に移転。北海道指定有形文化財として保存されている。
※)住所:札幌市西区琴似1条7丁目琴似神社境内
0 件のコメント:
コメントを投稿