旧井上房一郎邸物語(アントニン・レーモンド自邸写し)
設 計 Antonin Raymond(アントニン・レーモンド|1888 - 1976)
建築年 1952 : S27年
規 模 約190㎡(調査中)
所在地 群馬県高崎市八島町110-27(高崎市美術館内)
パティオがあるのびやかな平屋の家
若葉が眩しい夏めいた日に、高崎駅に降り立った。目的の場所は高崎市八島町と伺い、家を出る前に調べてきた。駅西口から徒歩5分ほど、距離にして約350mさしたる距離でもなさそう。
平面図 |
少し湾曲した石畳に一歩足を踏み込むと小町下駄の音が心地よい。玄関の向こうには、ガラス屋根から降り注ぐ初夏の眩しい日差しの中、パティオの椅子にここの主人が腰掛けている。さすが事業家、何かの気配を感じたのかこちらを振り返り手を挙げた。こんなに離れているのに後ろに目が付いているのでしょうか。
「いやー、お待ちしておりました」
「本日はお招きいただいありがとうございます。このお住まいにお招きおいただくのを楽しみに致しておりましたのよ」
「それはそれは、仰って頂ければいつでも大歓迎ですよ。特に美しご婦人は」
「あら、ご冗談ばかり」
「いやいや、美しいということは大切なことだ。そして、日本には日本の自然を尊重した美しさがあるが、これからはそれだけではいかん。海外の美しさも取り入れなければならん。だから私はブルーノ・タウトやこの家を設計したアントニン・レーモンドとも積極的に親交を交わしている」
主は、手にしていた江戸切子のお猪口をクイッと傾けた。
「このパティオはとても気持ちがいいですこと。確かこの建物は、チェコでお生まれになったアントニン・レーモンドさんが麻布の笄町(こうがいちょう)に建てられた建物と瓜二つだとかお聞きしましたわ」
「瓜二つとは少々気になるな。しっかりと彼には『写し』を建築すると許可を得とるよ。彼もそのことで悩んでいた時期もあったから」
「言葉の選び方を間違えましたかしら、まっ、おひとつどうぞ。レーモンドさんのご自宅と全く同じに建てられたのかしら」
「いやいや、ところ変われば家も変わるもの、彼の住まいは事務所兼住宅だよ、ここは住宅だけだから、笄町の自宅部分だけだ。それもリビングは朝日が充分に入るように東西を反転させておる」
「それだけですか」
「そうだな、その他、主な所は家内が茶道を嗜んでおるので寝室横に茶室として使える和室を設けたこと、居間の近くに不浄をつけたこと、私は靴のままの生活は好かんから靴を脱いで暮らせるようにした。おうおうそうだ、このパティオの屋根に硝子を入れた、雨の日でもこの空間を楽しみたいからの」
「そうだったのですか、このパティオはとても気持ちが宜しゅうございますね」
「そうだろう、先ほども言ったように、日本の文化と建築の美しさは自然を尊重した美しさでもある、そして屋敷の中にその自然を取り込む工夫をしてきた。それは鑑賞するばかりではなく、外の仕事を中でもできると言っても良いかな。土間や通り庭、土縁や、縁と呼ばれるものだな。レーモンドの言葉を借りれば『庭と家は一体 をなす。庭は家に入り込み、家は庭に滑り出す』と言っているからね、このパティオは彼なりに日本の文化と美意識を表現した空間なのかもしれんな」
「でも、実際の設計はあなた様でしょ」
「そんな風に聞いておるのか?」
「ええ、風の噂ですけど」
「確かにそのように言われても致し方ないか、あの頃は自宅から火を出してしもうて」
「そうでした、お気の毒なことでしたわ」
「それで、少し急いだもんで自分で決めたところも多かった。だが私はあくまでもレーモンド氏の設計だと考えておる。ほら、交響曲でも同じ楽譜を使って同じ楽団でも、指揮者が異なれば曲の印象も変わるだろ。あれと同じだレーモンド氏が描いた楽譜を私が指揮したんだよ」
「まぁ、井上様らしいお考えですこと」
「そろそろ家内が帰ってくる頃だ、夕飯は一緒に食べていきなさい」
この住宅は、井上房一郎氏(※1が当時アントニン・レーモンドの事務所兼自宅(旧東京・麻布の笄町(こうがいちょう)現:西麻布3丁目1954〜1974)を訪れた際すっかり気に入り、レーモンドから建設許可を得て地元高崎市八島町に建設した。またこの建物保存に関しては、日本建築学会が2002年、高崎市長に「井上房一郎邸保存に関する要望書」を提出しており、現在は高崎市美術館が保存維持している。
※1)井上房一郎(いのうえ ふさいちろう、1898年5月13日 - 1993年7月27日)は、群馬県高崎市出身の実業家。ブルーノ・タウトの招聘や群馬交響楽団の創設などの文化活動、田中角栄の庇護者としても有名。Wikipedia
参考:
高崎市美術館ホームページ
GLOAGUEN, Yola ヨラ・グロアゲン
「アントニン•レーモンドの住宅建築における 自然との関係の表現について」
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