2016年7月1日金曜日

京都市中京区の町屋

京都市中京区の町屋

建築年 不明
所在地 京都市中京区

歴史的な「町」単位を受け継ぐ地域の町屋


「うなぎの寝床」と呼ばれる間口が狭く奥行きが深い敷地に建つ町屋は、間口に対して課税する豊臣秀吉の税制に反発した形だとする説がある。京都に限らず国内各地においても、この形状が課税のせいだと言われているし、学校でもそう習った記憶もあるが、京都の住宅地はそれより以前から細長い敷地に区分けされていたようなので、これは俗説だとも言われている。
1階平面図

一方で、ある建築家は京都の建物は盗賊対策として、防犯のために間口を狭くしていると指摘している。歴史本によれば、天歴年間(947〜957年)京都には盗賊が横行し、政府機関の建物も狙われ、いわゆる泥棒ではなく群盗と言われる種類であったともいわれる。このため1辺を40丈(約120m)を最小単位とする正方形の「町」は平安京の当初の計画で、その東西にだけ家々が建ち並ぶ「二面町」が想定されていたようだが、この防衛のため東西南北に 家々が建ち並ぶ「四面町」へと変化していったとも推測できる。確かに間口を狭くし、出入り口を一箇所とすれば施錠忘れも減り奥行きが長ければ、たとえ賊に襲われても奥へ逃げやすかったのかもしれない。また、京都の花街が「一見さんお断り」であることは、この歴史があったために生まれた、自衛手段だったのかもしれない。

2階平面図

ともかくこの「うなぎの寝床」と言われる細長い敷地で、採光や風通しを得るために、今でいう「町屋型」の住居が生まれた。町屋型と言われる住居の特徴は、細長い建物の中に採光や風通しを得る目的で、庭園的(観賞用)な前裁(せんざい)や中坪(なかつぼ)また縁側に近い庭先(庭前・にわさき)と呼ばれる何箇所かの庭と居住空間として利用する目的の玄関庭、走り庭、通り庭、裏庭など多彩であり、蒸し暑い京都の夏には、これらの庭に打ち水をすることにより、住居内に風を引き込む生活の知恵も生まれたようである。

また、この間取りのように、一般市民が通り抜ける路地(ロージ)の上部に民家の2階が作られていることも大きな特徴の一つと言える。


※参考
甦る日本史[1][古代・貴族社会篇]: 頼山陽の『日本楽府』を読む
「平安京の条坊制」山田, 邦和
京都の歴史的風致(京都市情報館)
島村昇・鈴鹿幸雄他著「京の町屋」鹿島出版社


 

京都「町内」の変遷

0 件のコメント:

コメントを投稿