「スカイハウス」
設 計 菊竹 清訓(きくたけ きよのり 1928.4.1ー2011.12.26)
建築年 1958 : S38年
規 模 247.34m²
所在地 東京都文京区大塚
空中に浮かぶワンルーム・新陳代謝する家
メタポリズム「代謝建築論 か・かた・かたち」菊竹氏のデザイン論である。デザイン論といえば、なんとなく取っ付き難く、むつかしく感じるかもしれません。
しかし、「これからの建築は、日々変化する人の生活・暮らしに建築は柔軟に対応できなければならない」と、理解すればそんなに難しくはないのではないでしょうか。それを可能にする主要構造体と設備の技術が必要であり、ライフスタイルの変化に対応出来るように、空間を仕切る間仕切り壁を考え直すべきであると、理解してもいいかもしれません。
菊竹氏はこの建築論を、自身の自宅で表現し、証明することを考えたのが、1958年に完成した「スカイハウス」である。
スカイハウス 2階平面図 |
視線の上にはコンクリート打ち放しの建物が、空中に浮んでいる。その構造体の力強いイメージから、強大なイメージであったが、実際には控え目なスケール感と佇まいである。建物横の階段を6mほど登りきると、ここの主人が朗らかな笑顔で立っている。
「お邪魔します」
「ようこそいらっしゃいました」
「驚きました」
「建築は普遍的なものではいけませんな、特に住宅は」
と突然に主人は語り出す。
「人は変化します。ライフスタイルも生活環境も、住宅はそれに自由に答えなければなりません。ただ、大きな建物を作って、間仕切り壁だけを変化させるという手法もあるだろうけれど、それでは不経済だし、将来どのように自分自身が変化するかも解らないのに、大きめの建物を作る意味がない。人の変化に建物が追随することに意味があるのです」
「先ずは人ありきですね」
「そう、それは建築の基本ですね。人がいなければ建築ではなく、ただの建築物、工作物というように、単なる「物」ですから」
「そうでした」
「人とは自分自身もそうですが、地域の人々という意味もあります。僕の先祖は地主だったのですが、かつて日本の地主は地域の人々に役立つインフラの担い手であり、地域文化の保護者でした。学校や農耕地に必要な水門をはじめとする整備、神社やお寺など地域のサポートは全て地主の役割で、時間の経過とともに、インフラも文化も変化します。つまり、変化する人に対応する力が建築に必要ですから、先ずは変化する『人の時間』ありきと、いうかな」
「なるほど。具体的なデザインのお話を聞いてよろしいですか」
「一般的に、建築の室内空間は四方の壁に囲まれます。しかし、その四角に壁を配置してしまうと、非常に閉鎖的に感じ、広がりがなくなってしまいます。ですから、壁柱と呼ばれる構造の柱を一辺の真ん中に配置し、四隅を解放することにより、視覚的にも感覚的にも、どこまでも空間が広がる効果をもたらせています。それに外部空間の中に、室内空間が溶け込む感覚が強く感じます。この感覚的なデザインと一緒に、強度的な視点からデザインを考えた場合、ここは傾斜地であり将来、増築が必要になった時には下階に必要な部屋を吊り下げれば良いと考えています。傾斜地の基礎工事は厄介です、最初に必要十分な強度の構造体を築き、後に必要なものをぶら下げれば、土地に負担を掛けなくても良いですし、基礎工事の必要もない」
「とても合理的だということですね。話を急ぎ申し訳ないのですが『設備技術や装置の更新や移動に十分対応できること』と仰っていました」
「そうです。一時期設備を中心とするコアプランが提案されましたが、面積の小さな住宅では、かえって住宅の変化に対応しにくいと思います。また、2階に居住空間をレイアウトしたこのプランでは、自由に変化させる居住部分を可能な限り広くするべきと考えた訳です。また設備を2箇所に分けることにより、下階に増築する時には、1箇所より対応しやすく、間取りの制限が半分になり、建築の可能性が高まります」
「なるほど、固定化されやすい設備も建物の変化に対応しやすくなりますね。次にライフスタイルの変化を受け入れるとは、間仕切壁の自由化とはまた違うのでしょうか」
「確かに、構造体には鉄筋コンクリート造を選び、屋根はHP(双曲放物面)シェルにしています。イメージとしては大きなシェルの中を自由に仕切って暮らすと、言ってもいいでしょうか。しかし室内のデザインは、日本建築の中でも、縁側の、あの曖昧な、内部でも外部でもない空間も捨てがたく、家全体に回廊をもうけて、曖昧な空間を通して室内空間を外部とつないでいます。そんな意味では、形は別にしてこの家は日本の家なのです」
「そう言われれば、天井の高さにも和的な感覚を感じます」
「外部と融和する日本建築は、横の広がり、自然との繋がりを求めてきましたから、天井はあまり高くしないのです。天井を高くすると、空間は孤立してしまう。そうそう間仕切り壁の話でしたね。そもそも私は、住宅に間仕切り壁は必要ないと考えています、家具で仕切れば十分です。社会の中では、家族という一つの「個」が住宅という個室に暮らすものです、その「個」がまた個室を持つ必要はない、それが住宅ではないかと。
ですから、外部空間とは建具で2重に仕切り、住宅内は一つの個室として機能させるために解放している。回廊は、社会と住宅という個室をつなぐ廊下の意味もあります。でも、現実には子供室も必要になると思いますから、将来は下階に子供室カプセルをぶら下げようと思います。しかし、社会の中で住宅の意味を唱え続けたいので、2階はこのまま使い続けたい。少し矛盾しますが、それを考え続けることが「建築」ではないでしょうか」
※本文は、本人へのインタビュー記事と、設計図書から読み解いたフィクションです。ご本人の発言とは異なる箇所も多々ありますことを、お断りしておきます。
参考
wikipedia
プロジェクト・ジャパン メタボリズムは語る
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