NO 8(遠山邸)
設 計 池辺 陽(いけべきよし|1920-1979)
建築年 1951 : S26年
規 模 17.5坪
所在地 東京都練馬区
アイランドキッチンを取り入れた歴史学者の家
練馬区に新築したこの家に引っ越しはや1ヶ月ほど経つ。本郷にある資料編纂室から帰宅した我が家は、池辺陽氏設計の18坪ほどの平屋の住まい。北面の玄関戸を開けると、正面には夕餉の支度を始めている妻の顔が見える。この台所は池辺氏が「アイランドキッチン」と名付けた独立している台所だ。少々狭いが、食卓も兼用されたデザインは、流し台の周りを自由に動き回れ、案外と使いやすいそうである。
平面図 |
「お帰りなさいませ」
「うむ、いま帰った。何か変わったことは?」
「いえ、特には何もありませんでした」
そうそう変わったことがあっては、私の身ももたないが大正3年生まれの日本男児、妻へのいたわりの言葉としてつい口から出てしまう。
帰宅後、直ぐに手洗いをするのが日課になっている。しかし、今日は少し気になる書類があり、玄関から入って右側にある書斎へ向かい、革製の鞄から書類を取り出し目を通す。戦後数年経ち社会は徐々に安定しつつあるも、まだまだ資材や面積の制限があるらしく、延べ面積は18坪ほどの小さな住まいを計画した。
日本史研究を生業としている身としては、蔵書が多く自宅にて研究、執筆の場所も必要であるため書斎を池辺氏に無理を言って計画に加えてもらった。
出来上がった間取りを見ると、本棚で仕切られただけの居間と一体型の書斎で、個室とばかり思い込んでいた私の期待は裏切られた感も拭えなかったが、北側の光は安定しており書斎にはいい環境で、書棚も思っていたより大きく、風の通りも良い。加えて居間と一体の空間は狭さを感じず、家族との時間も大切にしたい私にはありがたい空間構成といえる。
この時代の風呂は、薪で沸かすため浴室横に焚口が必要である。風呂を沸かすのは家内にとっても、大きな負担であろう。この家は、台所と焚口の距離も短く多少は家内の負担も少ないようでなかなか好評のようである。好評であるといえば、台所と子供室が近く、家内が調理をしながらでも、この距離感であれば、子供たちの勉強を見てやれることも特筆したい。
帰宅ご風呂に浸かり、湯上りには縁側に腰掛け、四季を感じつつ夕餉までの短な時間が楽しみであった。ただ、畳が無い我が家では、縁側は不似合いとのことで、テラスという名の濡れ縁を設け、お気に入りの時間を過ごしている。
さて、そろそろ食事の用意ができたみたいだ。
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