2016年7月1日金曜日

吉村順三「池田山の家」

池田山の家

設 計 吉村順三(よしむら じゅんぞう|1908年9月7日 - 1997年4月11日)
建築年 1965 : S40年
規 模 260㎡(78.7坪)
所在地 東京都品川区五反田


緑を取り込んだL型コートハウス的住宅

吉村先生との待ち合わせは午後1時。私たちは少し早めに目黒駅に着き、大使館が点在する街をのんびりと徒歩で目的地へ向かっている。
「ご迷惑でなければ、池田山の家を一度訪問させていただきたいのですが」
「そうですね。山口氏に確かめてみましょう」
その厳格な容姿と裏腹の快いお返事は、真のお人柄であろう。こうして先生は、気さくに希望を受け入れてくれたのが10日ほど前のことである。
1階平面図

長年憧れてきた池田山の家は、道路面に窓ひとつなく、大きなお屋敷の塀のようで道路面には左から木製のシャッターと軒の深いポーチ、1mほど窪んだ奥には木製の玄関戸が見える。その右側には、おおよそ縦に1m、横に30Cm間隔でラインが入ったコンクリートの打放しであろうか木目の入った壁が続き、8mほど離れたところに木製のドアが付いている。決して要塞などの威圧感はなく、街の景色によく馴染み気持ち良いファサードだ。
「いやぁーいらしゃい。すぐに判りましたか」
「今日はお天気も良く、先生が描いていただいた地図通りにのんびりと歩いてきました」
「そうですか、それは良かった。さぁ中へどうぞ、山口氏も快くご訪問をお待ちいたしております」
「では、お邪魔します」
玄関戸を開けると一瞬足が止まる。右側には左右が壁に囲まれ、奥には幅90Cm程のガラス戸が見える3畳ほどの庭から光が差し込んでくる。外観からは想像し得なかった驚きの空間が出迎えてくれる。靴を脱ぎ右に曲がり、壁内に引き込まれる引き戸を開けるとその視線の先に目にも眩しい緑と静かな水面が飛び込んでくる。さらに足を一歩部屋に踏み込むと左手には大きな欅が見えてくる、室内は適度に明るく心地よく暗く、のびやかに空間が広がっていく。なんと心地よい視線の演出だろうか、まさに吉村先生が言う「快い驚き」の空間であろうか、たった数歩ですでに吉村ワールドに引き込まれてしまった。これが本物の住宅であろう、私は大きな確信とともに、高揚する気持ちを抑えきれない。
「言葉が無い」
正直な気持ちである。
「そうですか。気持ちいいですか」
目にはうっすら涙が溜まってくるのが自分でもわかる。まるでマジックのように、いつのまにかソファーに腰掛けている。この視線からでは、室内と同じ高さのウッドデッキが続き、水面には庭の緑と澄み渡った青空に雲が浮かんでいる。左奥には食堂が繋がりその奥には、ご家族専用の居間であろうか微妙に見え隠れしている。食堂へは玄関ホールからも直接入れるようで、たった今帰宅したお子さんが、この居間を通ることなく奥の部屋へ消えていく。右壁には建具があり内部は見えないが、その奥は先ほど玄関横の庭から見えた部屋になっているのであろう。

2階平面図

「気持ち良さを通り越し感動しています」
「そう感じますか」
「ええ、ただ気持ち良いばかりか、凛とした品格を感じます」
「私は、全てに気持ちいい建築を設計しなければならないと考えています」
「よく先生が口にするお言葉ですな」
「さらに、建築家には施主に責任がある。それは、快い驚きは、住宅とか建築の中にあったほうが良いだろうし、
建築主の希望を叶えた上で、自発的にプロポーションと収まりを苦労して考えなければならない。
また、建築には資源も資金も浪費しないで、材料の節約自然資源の節約、それを造るときの労力の節約、できるだけ手間を掛けないで、使いやすく美しいこと。建築の美しさは使い勝手が良く造形が美しい運命にあるから、時が経ても美しく流行遅れにならないと、考えています」
「全く、観念にだけしか考えていないような最近の若い方々にも聞かせたいです」
「日本の住宅は元来、やっぱり昔からの、日本のもっている素直さというか、正直さというか、合理性というかそれが本当、それが真理であると・・・」




この文章は「吉村順三のディテール」彰国社刊を参考にしたフィクションです。

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