2016年7月1日金曜日

北海道に現存する初期開拓農家の家「旧三戸部家」

現存する初期開拓農家の家


建築年 明治5年
所在地 北海道伊達市梅本町61-2「伊達市開拓記念館」内

「旧三戸部家」

仙台藩は、安政2年(1855年)以降、仙台藩の領地意外に東蝦夷地の警衛も任されており、戊辰戦争に敗れた責任を問われ、石高を減封された領主たちは、自らの家臣団の救済のため、私費を投じて北海道開拓のために移住を決意。亘理伊達氏は有珠郡(現在の伊達市)を選び、家臣たちと共に明治3年4月から移住を開始し、明治14年の間に9回にわたって、述べ2700余名が移住した。
旧三戸部家 平面図

旧三戸部家住宅は、初期の開拓者住居として現存する唯一の建物で、明治5年(明治10年後半という説もある)に建築されてこの住居は、柱を3尺間隔に建て、寄棟草葺屋根をもつ当時の仙台地方の建築様式を表している。ただ、屋根を寄棟としているのは、開拓地が海に近いための強風対策や、寒さ対策のため壁面積を小さくする工夫とも解釈できる。間口5間、奥行き3間に半間の軒下空間をもつ簡素な作りの平面に、屋根の架構には合掌造りの扠首(さす)組が見られる。

「だいどころ」は炊事や作業の場で土足であった。(「だいどころ」は昭和45年の修理解体移築時には、間口2間奥行き3尺の土間以外を板間と改装されている)囲炉裏を切ってある「おくざ」は「だいどころ」と3枚の板戸で仕切られ、正面側にも引き違いの板戸が入っている。奥の「なんど」は主に収納の他、寝室の意味合いが強く、薪も貴重な開拓初期には、極寒期以外はここに藁を敷き寄り添って眠り、極寒期には「おくざ」の囲炉裏に火をたきその傍に寝ていたと思われる。

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